35周年記念公演レポート
7月2日。朝、いつもより早く起きるつもりがアラームの設定に失敗。
また遅刻だーと必死で支度して、例によって東西線→都営浅草線→京浜急行→バスのルートで川崎市教育文化会館に直行。今回はどうやら間に合った。
でも例によって着付けのできる人は少なく、着るメンバーは多数。この混乱を軽減する狙いもあってか、最近導入された女性用の「制服」が今回デビュー。音楽協会の紋がついた濃い青の色無地に紫の袴というセット。わたしはまだ買ってません。やっと黒留袖の着付けにも慣れてきたんだし~、制服けっこう高いんだもん。
というわけで、今回もひとりで悪戦苦闘。帯も自力で結んだぞ~。でもなーんか変……
とりあえず沖縄の本部から来た先生方と一緒の記念撮影には間に合わせ、後できちんと着付け直してもらいました。
記念撮影に集まった先生方は全員
黒朝(くるちょう)はちまち姿。いつもの演奏会ではだいたい黒紋付に袴なのだけど、さすがにこのカッコされると「琉球王国の伝統~!」という感じがしてさらに厳粛な気分に……
で、幕開けは例によって「かぎやで風」から。
でも実は、今回の幕開けは三階の客席から見てました(笑)。幕開け斉唱は男性だけだったのです。
幕の向こうから、いつもより気合の入った華麗な太鼓の音。それに続いていっせいに「工、五、四、工、四、乙、四、合尺……」
するすると幕が上がると、客席から「おおーっ」とどよめく気配。いや上から見ていても気持ちのいいものでありました。
続いて舞踊「かぎやで風」。これは地謡を本部&関東支部の師範のみが担当。唄三線の先生方はもちろん、箏・笛・太鼓、そして胡弓の奏者も全員黒朝はちまち姿という琉球王国フルオーケストラ編成。これはなかなか東京では見られないものなのです。いやー、よかったなぁ。
「かしかき」「前ぬ浜」まで見たところで後ろ髪を引かれるような思いで楽屋へ。舞台袖で「四つ竹」「浜千鳥」を見て、いよいよ自分の出番。第一部のラスト演目「独唱」です。
演奏は……舞台にスタンバってからあっという間に(と自分では思えた)幕が開いてしまい、「干瀬節」が終わって自分の「子持節」に……
歌う前はいろいろ考えてたんだけど、いざとなると思ったことの半分も盛り込めませんでしたね~。緊張ときっちり締めた帯のために息もいつもほど続かないし……
あ、でも、愛器「三星」君はいい音で鳴ってましたねー。弾きながら「いやいい音だな~」と感心してたりして(おいっ)。
終わったとたんにどーっと疲れが……汗もかなり出たはず(笑)。
いや、まだ女性斉唱が残ってるんだってば。くたんでーねーびらに。
また客席にもぐりこんで「暁節~瓦屋節」を聴き、「花風」と「高平良万歳」を見てから舞台袖に……なにしろ今回の演目は、自分たちとしても勉強になる見ごたえあるものが多いのが辛いところ。で、教師三人による独唱(これも全員女性)の間にその後の幕の背後でスタンバイ。そして、いよいよ「本嘉手久節~出砂節~揚高祢久節」の斉唱。リハーサルの時は調弦「B」だったのに、今日来たらいきなり「やっぱりCでいきますから」と言われて、ひぇ~ご無体な……と思ったのだけど、いや本番ではちゃんと高音(上のGまであるのよこれが)出てました。おそるべし女性パワー。
わたし個人的には、独唱終わって気が抜けたか、出だしぼろぼろミスってしまったのが無念です。
その後舞台袖から師匠の「述懐節」独唱を見て(相変わらず師匠の「しゅっくぇー」はいいなぁ)、器楽合奏を見て、最後の演目「松竹梅鶴亀」が始まったところで、あーもう早く衣装脱ぎたい、楽屋に戻ろ、と思ったら、「フィナーレで舞台に出るから三線だけ置いて戻ってきて」との声。えーっ、聞いてないよーと思ったけど(まあ沖縄関係じゃよくあることなので)急いで楽屋に三線置いて舞台袖に戻る。
「松竹梅鶴亀」が終わって踊り手さんが引っ込んだ、と思ったら、舞台の地謡はそのまま「ヨシャイナウ節」を演奏。舞台袖にスタンバイしていた先生方と(まだ衣装着たままだった)メンバーや踊り手さんが出ていって客席に向かって礼。
ここたぶん八重山なら「ミルク節」が出るところだろうな。
♪十日越しの夜雨な スーリ 草葉潤わしゅし シャントシャリバ ユシャイノウ……
いやー終わった終わった。今度は5年後だなぁ……
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