2012年06月11日

楽典のてびき

楽典のてびき

先日関東支部のおさらい会に出席して、野村流音楽協会の「楽典のてびき」をゲットしてきました。
今年の一月、沖縄の教師研修会に出席した際に目下鋭意編集中、ときかされ、出たら即買うぞ、と待ち受けていた一冊です。


楽典そのものは、ちゃんと前からありました。
現在わたしたちが使っている工工四の上巻の冒頭に、若干小さめの活字でぎっしり印刷してあって……とっても読みづらい。
何度か読んでは見たんですが、活字の小ささと語句の難しさに挫折。なんか大事なことが書いてあるなーというのはわかるんですが、今まではとにかく曲を覚えるのが最優先課題で、音の高さとか間の取り方とか、声の出し方、いや声を出すときの姿勢とか、そこまで考えてる余裕なかったので、あんまり深く追求してこなかったのも事実(汗)。

でも一月の教師研修会で「それじゃあいかんなぁ」とつくづく実感し、でもやっぱり上巻の冒頭を読み解くのは大変なので(をいっ)、わかりやすい「手引き」が出るの待ってたんですよ~。

目にも優しい大きめ活字で、漢字にはすべて振り仮名付き、という読みやすさですが、内容が簡単になったわけではないので(原文をわかりやすい言葉で言い換えてはありますが)、読んだら読んだで新たな悩みも増える。今までごく当たり前のように歌ってきたあの曲この曲の歌い方が、実は根本的に間違ってるんじゃ、と思うと底なし沼にはまったような気も……タラ~

いっぺんには理解できなさそうなので、何度も読み返していくしかないだろうなぁと思っていますが、まず冒頭の「琉球三線楽楽譜の歴史」の部分で
「あ、そうだったのかぁ」
と気づいたのは、もともとの文章では
「野村流工工四は、尚泰王上意によって野村、松村両氏編する所の上中下三巻である」
となっていたくだり。

今わたしたちが「教科書」として使っているのはこの「野村流工工四」を元に、伊差川世瑞先生と世禮國男先生(この楽典の著者)が声楽譜をつけたものなのですが、その工工四を作るよう野村安趙師(わが野村流の始祖)に命じたのはあの尚泰王なんですよ、いまや「テンペスト」ですっかりおなじみになった、琉球王国最後の王様。
で、その王命が下ったのが慶応三年で、工工四ができあがったのは翌々年の明治二年。その十年後には琉球王国そのものがなくなってしまったんですねぇ。幕末から明治へと移行するまさしく「テンペスト」の時代だっただけに、王様の命令がなかったら、今こうしてわたしたちがやってる野村流の琉球古典音楽だって、こんなちゃんとした形では残らなかったかもしれない。

もしかしたら尚泰王も、時代の流れを感じ取って、「今これを残しておかなければ」と思ったのかもしれないなぁ。


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Posted by 唯ねーねー at 22:15│Comments(1)三線
この記事へのコメント
やはり、安趙師の流れを汲む野村流ならではの書ですね。
面授口伝の安冨祖流では、良くも悪くも「楽典」なる概念さえないかもしれません。笑
Posted by くうふう at 2012年06月12日 23:19
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