ナナメから見た「ナイトミュージアム」
先日見た
「ナイトミュージアム」。
ま、たわいもない話なんだけど、あのあといろいろ関連サイトなどを見ていくうちに、面白いな、と感じることがいろいろ出てきたんで、ちょっと書いてみようと思う。
かなりネタバレも含むので、続きを読む方はそのつもりで(笑)。
まず、アメリカではこの映画、クリスマスに公開されたものだったということ。
なるほど~、と思った。
映画の中の季節にクリスマス色はないけれど、クライマックスが雪の中のカーチェイスならぬホースチェイスになってるのもそれでかとうなずける。
それに、以前額田やえ子さんの
「アテレコあれこれ―テレビ映画翻訳の世界」を読んだ時、アメリカのテレビドラマでは、クリスマス時期に放映されるものは、できるだけ暗い話は避けてなるべく心温まるほのぼの系になっている、と書いてあったのを覚えていたので、この映画なんてまさしくそうだよな、と思った。
残虐シーンはなし、エログロもなし、バイオレンス要素(?)は多少あるけど、それも物語上でちゃんと否定されてるし(「猿を叩いてはいかん」byルーズヴェルト)。軽い恋愛要素はあっても実に健全で、クリスマス休暇に子どもを連れて見に来た親が目のやり場に困るようなシーンは一切ない。さすがハリウッド、そのへんのマーケティングはしっかりしてるなぁ~。
それから、展示物の中で特に主人公に協力的な存在として配されているのがルーズヴェルト大統領、西部開拓者のリーダー、ローマ皇帝、ネイティヴ・アメリカンの女性にエジプトのファラオ、というのが実に興味深い。ネット上のさまざまなレヴューの中には、登場する展示物が白人中心主義だ、というのがあったけど、そりゃそうだろう。なんか「平均的アメリカ人の深層心理」を見るような気もする。
特に、隣り合わせに展示されたジオラマで、毎晩喧嘩を繰り広げながらも、主人公に「君たちは似たもの同士だ」と看破され、最後にはがっちりタッグを組んで陰謀に立ち向かうのがカウボーイとローマ皇帝、というあたり、
「パックス・ロマーナ」と
「パックス・アメリカーナ」というふたつの言葉を思い出させてしまうし、欧米人の精神的ルーツとしてローマ文化がいかに根深いものか考えさせられる。
すべての騒動の大元が、エジプトのファラオの副葬品だった「復活の力」を秘めた黄金の石版だというのも、アメリカ人がエジプト文化に抱く神秘的なモノに対する憧れのなせるワザじゃないかしらん、とも思えるし。
あと、直接映画に関係がないのだけど、ネットサーフィンしているうちに気づいたこと。
あらすじ解説の中でルーズヴェルトの恋した相手が「インドのプリンセス」となってるものがけっこう多い。映画を見ればすぐわかることだが、実際はサカジャウィアというネイティヴ・アメリカンの女性なわけで、たぶん最初にプレスリリースを翻訳した人が「Indian Princess」を誤訳しちゃったのがコピー&ペーストであれよあれよという間に広まってしまったのだろう。
いや、翻訳者の端くれとして、実に身につまされる。自分だったら今頃穴にも入りたい思いでいただろう。恐ろしい話だ。それとともに、情報をよく検討せずにコピペで広めてしまうことの怖さも感じる。
それに、こういう間違いを防ぐためにも、インディアンという言葉は安易に使っちゃいけないよな、と痛感させられる。
ちなみに、わたしの個人的笑いのツボは、
怖そうに見えて意外に可愛いティラノザウルス。尻尾ふりふりってあんた……
魔法の石版効果か、ミイラからしっかりイケメンになって復活のアクメンラー王。古代エジプト人なのに流暢に英語が話せるそのわけは……
歴史的イメージと違ってかなり体育会系ノリのローマ皇帝オクタヴィアヌス。
アッチラ大王を精神分析しちゃう主人公。
ジイサンの癖にやたらステップの軽い先輩夜警のセシル(無理もないです。ディック・バン・ダイクだもの。メリーポピンズ懐かしい)
最初登場したときはどーしょーもないダメ男なのに、クライマックスでは妙にカッコよく馬を駆る主人公(ま、ティラノ君に追いかけられた時の逃げ足の速さから、運動神経よさそうなのはわかるんだけど)。
でした。
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