今回は最近の定宿阪急アワーズインが取れなかったので、東陽町のルートインに宿泊。
実は、最初日曜日に関東支部のおさらい会があるという話だったので一泊コースにしたんだけど、その後通知は来ないし、もしかしてあの話は無し?
来週はうちの教室の忘年会&おさらい会なのでまた来るんだけど、その週の日曜日はお弟子さんが来るので夜行バスで日曜早朝帰宅だし、ホテルでゆっくりして翌日東京観光して帰るのもたまにはいいかな、と思ったんでそのまま一泊コースにしときました。 キャンセル料払って日帰りコースに変更というのももったいないし。
念のため師匠に確認とったらやっぱり日曜日のおさらい会と忘年会は無しでした(笑)。
来週忘年会があるせいかこの日はお稽古終了後飲み会もなく解散……
いつもなら適当にその辺で晩御飯食べたり、銀座のわしたショップに寄ったりしてその後はホテルでのんびり過ごすんだけど、実は今回はとある情報をゲット。
だいたい「新少林寺」ってすごくマイナーな扱いされてて東京でもあまり上映されてるところないし、字幕版になるとさらに上映回数少ない。ところが、なんと錦糸町の新天地シネマで夜8時からレイトショー上映すると……
お稽古終了後に行っても充分間に合う時間。これは仏様のお導きに違いない(笑)。 というわけで行っちゃいました。
やっぱりいいです。出てくる男達が老いも若きも(子どもも含め)みんなかっこいいし(半分以上は坊さんですがw)、雪の舞う禅寺風景がストイックでまたいい。
「ベスト・キッド」以来久しぶりの、
「DVD出たら定価で即買う!」唯ねー極私的5つ星評価です。
先日の記事にも書いたように、今回の映画で長年の「少林寺ジレンマ」が少し解消されたような気がします。
少林寺における武術とは、心身を鍛え、粗衣粗食に耐えて修行を完遂する身体を作り、時には自衛のため、誰かを暴力から守るため、そして時には迷える衆生の煩悩や無知蒙昧に喝を入れてその迷妄を晴らすためのものなのかなー、というのがわたしの解釈。
ただ映画見てるうちに新たな疑問が……
少林寺って禅宗ですよね。なのに決まり文句が「阿弥陀仏(アーミィトゥォフォー)」なのはなぜ?
だれか教えて。
で、翌日は、上野の東京国立博物館に行って
「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」を見てきました。
本当はその前にやってた「空海と密教美術展」が見たかったのですがスケジュールが合わなかったので……はい、うちは浄土真宗です、どーもすいません。これも仏様のお導きかと観念して(笑)行ってきました。
以前見に行った
「薬師寺展」ほど混んでいなかったので、「法然さんと親鸞さんじゃビジュアル的に地味だし楽勝かな」と思って入ってみたら甘かった……スゴイ人込み。それがまた全然動かない。
これ、原因のひとつは「音声ガイド」なんです。今回の展示も特に前半は法然さんや親鸞さんやその関係者が書いた書物や手紙が多い。こういうのってほとんどが達筆で書かれて判読できないし、見た目面白くないから普通はどうしたって駆け足鑑賞で絵画や彫刻に流れる。ところが音声ガイドのおかげで、特に観覧客の大部分がかなり年配の方なんで、みんな律儀に解説が終わるまで展示物の前から動かない。
人が少ない時はいいんですが、日曜日で混雑してるんだからその辺は融通きかせて適当にはしょって見てよ~、頼むからさぁ。
いつもだったら途中で切れて適当に鑑賞切り上げてしまったかもしれませんが、昨夜の「新少林寺」でかなり心が浄化されてるものですから、「いいや今日は8:47品川発の新幹線だし時間はたっぷりあるし」と、いつになく寛大な気持ちで列に並び、後ろから時々足首に食い込んでくるオジイの車椅子の痛みにも耐えつつさまざまな展示品を拝観したのでした。完全に
「苦行スイッチ」入ってたなあの時は……(笑)
でも思ったより見ごたえある展示でした。親鸞さんの有名な「熊皮御影」は展示替えで見られなかったけど「鏡御影」は見られたし、坐像もあって「やっぱ親鸞さんって顔ゴツイよな」なんて思っちゃったり、親鸞さんが「阿弥陀経」を書写してその余白にびっしり書き込みしてるのを見て「うわーすごく勉強してる」と感心したリ……実はこの方式、わたしも身に覚えが。
中国語をとにかくある程度、読み書きだけでもなんとか上達させないと、というせっぱつまった状況下で取った独学法がこれ。
人間手書きしたことってとてもよく「頭にはいる」んです。
(だからキーボードばっかり打ってちゃダメなのかも……)
会社でやり取りしたメールの文章をノートに黒ボールペンで書き写して、その下に青ボールペンでピンイン文字を調べて書き写して、さらには赤ボールペンで四声記号書いて……ノート一冊がいっぱいになったら同じノートをもう一冊作る……これでノート2冊分とそのコピー(書写途上なのでまだ一冊半)、計3冊半書く頃には恐るべし、ある程度の読み書きはできるように(ビジネス関係に限りますが)。
いかんせん赤ボールペンで四声記号書くのは一冊目あたりで中断してるので、読み書きはできるけどしゃべれません(爆)。
その他にも、法然さん宛に熊谷直実が誓いの言葉を書いた文書があって、「ああ法然さんたちってリアルに源平時代に生きてたんだなー」と改めて実感したり、親鸞さんが尊敬していた聖徳太子の像を見て、うちのお寺にそれがあるわけに改めて気づいたり、「歎異抄」って「異端を嘆く書」だったのかーと初めて知ったり、知識としては知ってても、意外に実感してないことって多いんだなと思いました。
法然さんの生涯を描いた絵伝も印象的でした。
法然さんの父親は地方豪族で、土地争いからあるとき夜討ちにあってしまうんですよね。その際に息子に
「決して仇を討ってはいけない。仇は仇を生み、憎しみは絶えることがなくなってしまう。それならばどうか、全ての人が救われる道を探し、悩んでいる多くの人々を救って欲しい」
と遺言し、その遺言に従って出家したのが人生のスタート。
この辺を描いた絵なんて、襲い掛かってくる武者の一群に立ち向かう寝巻き姿の父親とか、その隣で弓で応戦している女性(奥さん?)とか、家来なんだろうけどあまりに急な襲撃だったので素っ裸の上に鎧だけつけて戦ってる人とか、その時代に生きた人じゃなければえがけない描写だよな、と感心。
源平時代もその後の戦乱の時代も、結局人間のやってることって変わらないんだよなぁ、と妙に前夜の「新少林寺」のシーンとダブる感じがしてしまいました。「新少林寺」を見て、悪人の極致から180度の転換を遂げるアンディ・ラウ演じる侯杰を見ていると、なぜか歎異抄の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉が浮かんできたんですよね……
最後に展示されてた「山越阿弥陀図」に、おー
折口信夫の「死者の書」思い出すぞーなんて妙な感動しながら外に出るとそこにはミュージアムショップ。最近は記念お土産も充実してて困る。自分用には何も買わなかったけど、親にはお線香と抹茶飴を手土産に。
それにしても、Tシャツとか手拭とかトートバッグとかまでは理解の範囲内なんだけど、
親鸞さんと
法然さんのフィギュアって……これどうするの? 拝むわけ? 想像の斜め上を行く展開に「ついていけない感」がどっと……
苦行スイッチ解除して(もう2時でした)一目散にレストランへ。おなかすいたぁ。で、注文したのがパンダカレーって自分でもわけわかんない……たぶん疲れてて癒しが欲しかったのかも(笑)
その後東京駅に戻って京葉線で久しぶりに
イケア船橋店へ。
ひさしぶりにありがたーい敬虔な感情にひたってたのに、ここに来てその崇高な禁欲的気分は雲散霧消(爆)。
後は物欲との闘いでした。
これでも持って帰れる程度でガマンしたんだから……
ついでに東京駅のユニクロでフリースも一枚買っちゃったけど……